巨人軍奮闘記-「希望はないが、金ならある」-

プロ野球、とりわけ読売ジャイアンツについて語ってます。

杉内俊哉選手お疲れ様でした。

 9月12日、一人の天才左腕が自らのプロ野球選手生活に終止符を打った。通算勝利数142勝、通算投球回2091.1回に対して、奪った奪三振は通算2156個。2000イニング以上投げてイニング数より奪三振の数の方が多い日本人投手はNPBではただ一人の快挙だ。日米通算成績を含めても、野茂英雄(元ドジャースなど)とダルビッシュ有カブス)のみ。左腕では杉内俊哉しか成し遂げていない快挙である。日本人メジャーリーガーの代表格である野茂(元ドジャース)のような150km/h越えの直球と恐ろしく落ちるフォークを投げ込む典型的な奪三振タイプでもなく、野茂同様150km/hオーバーの直球と7色の変化球で打者と対峙するダルビッシュのようなタイプでもない。野茂やダルビッシュのような直球は無くとも、彼には彼の投球術があった。

 

 脱力した上半身、どっしりと重心を支える下半身、相互に作用し合い、最後の最後に向け放たれる彼のストレートは打者には150km/hに見えたに違いない。マシンのように、1、2の3のリズムで放たれるボールならばプロ野球選手は早い直球に対しても楽々捉える。大谷翔平選手の160km/h以上の直球ですらバットには当てられてしまい、捕らえられてしまうこともある。しかし杉内俊哉はリリースポイントの見えにくい投球フォームと脱力感から惑わされる緩急を生かし、並み居る強打者を幾度となく惑わし、通算2156奪三振の実績を積み重ねて来た。糸を引く直球はみるみるキャッチャーミットに吸い込まれ、後述する変化球はバットをいとも簡単に空を切らせた。杉内の投球はまさに芸術品。決して豪速球ではない彼の直球は名前を付けるならば快速球。芸術品のような品の良い直球は敵も味方も魅了した。

 

 直球も素晴らしいのだが、彼の凄みはそれだけではない。伝家の宝刀「チェンジアップ」である。

 

 野茂のフォークやダルビッシュのスライダーと同じような代名詞的変化球を彼も持っている。言わずと知れた代名詞「チェンジアップ」。

 チェンジアップとは直球と同じ腕の振りにも関わらず「ボールが手元に来てくれない」変化球の事である。

 投手と打者はコンマ何秒という世界で戦っている。一瞬でも隙を見せれば負ける世界だ。投手と対峙している打者の心理としては打席で確認した直球と同じ腕の振り=直球と判断してしまうので直球に合わせて始動する。もちろん変化球だからといって腕の振りが緩んだり、高さなどの位置が大きく変わってしまう様な投手は1軍レベルにいないので100%直球だと確信してスイング出来る打者もそういないだろう。ある程度腕の振りは皆同じ形をしているため、腕の振りが同じだからといって1球種に絞って打つということはあまりなく、どの球種でもタイミングを合わせられるのがプロの打者だ。その前提を踏まえて、杉内俊哉のチェンジアップの凄さを伝えたい。

 

 簡単に説明するために直球を打つタイミングが1,2,3のリズムでタイミングが取られているとしよう。打者はそのタイミングで直球と判断し体を始動させる。しかし、チェンジアップは1,2,3,4のタイミングで打者のポイントにやって来る。合わせるのは至難の技だが、毎日試合を行っている打者サイドからすれば1つタイミングがずれたからといってそう簡単に空振りはしない。時にファールで逃げ、時にじっくりと見送りボールを選ぶなど高度な駆け引きが行われている。

 

 しかし、杉内俊哉のチェンジアップは一味違うと言っていいだろう。ほとんど同じ腕の軌道から放られる魔球は左右に変化することなく、下に沈みバットの空を切らす。左腕特有の右打者から見て外に逃げていく軌道ではなく、彼独特の軌道は長年彼の武器としてプロ野球界を席巻した。

 このチェンジアップを武器に松坂世代最強左腕は通算投球回数以上もの奪三振を長いプロ野球生活で奪って来たのだ。

 

 もちろん切れ味鋭いスライダーや高校時代の魔球・カーブも武器であった。しかし、間違いなく杉内俊哉のチェンジアップは誰もが真似できる代物ではない。

 

 近年、投手の大型化、スピードの高速化の目覚ましい日本野球界。大谷翔平選手が高校生ながらに160km/hを記録した時、野球界は新時代に突入したのだと確信した。高校野球界において140km/hを放る投手は珍しいものであったはずだがいつの日か当たり前の時代になりつつある。そんな高速化の時代の中、150km/hを超えない杉内の速球は豪速球を放る投手よりも奪三振を多く稼いだと言う現実。このリアルはそこまで体格の良くない投手や、球速の速くない投手に勇気と希望を与え続けて来た。

 それは今後杉内がコーチに就任した際、チームにとって大きな力となるだろう。すでに2軍でくすぶっていた若手左腕の今村信貴を1軍で先発として活躍出来るレベルにまで指導したことから、やはり貴重な先発左腕(特に大江)を1軍でエースを任せられる選手になるまで育成してほしいものである。第2の杉内俊哉の誕生にファンは期待してしまうだろう。

 まずはゆっくりと体を休め、自分の時間、家族との時間を十分に満喫した後、再び野球界に携わってほしいと切に願う。

 

 杉内選手、長い間本当にお疲れ様でした。感動をありがとう。