巨人軍奮闘記-「希望はないが、金ならある」-

プロ野球、とりわけ読売ジャイアンツについて語ってます。

杉内俊哉選手お疲れ様でした。

 9月12日、一人の天才左腕が自らのプロ野球選手生活に終止符を打った。通算勝利数142勝、通算投球回2091.1回に対して、奪った奪三振は通算2156個。2000イニング以上投げてイニング数より奪三振の数の方が多い日本人投手はNPBではただ一人の快挙だ。日米通算成績を含めても、野茂英雄(元ドジャースなど)とダルビッシュ有カブス)のみ。左腕では杉内俊哉しか成し遂げていない快挙である。日本人メジャーリーガーの代表格である野茂(元ドジャース)のような150km/h越えの直球と恐ろしく落ちるフォークを投げ込む典型的な奪三振タイプでもなく、野茂同様150km/hオーバーの直球と7色の変化球で打者と対峙するダルビッシュのようなタイプでもない。野茂やダルビッシュのような直球は無くとも、彼には彼の投球術があった。

 

 脱力した上半身、どっしりと重心を支える下半身、相互に作用し合い、最後の最後に向け放たれる彼のストレートは打者には150km/hに見えたに違いない。マシンのように、1、2の3のリズムで放たれるボールならばプロ野球選手は早い直球に対しても楽々捉える。大谷翔平選手の160km/h以上の直球ですらバットには当てられてしまい、捕らえられてしまうこともある。しかし杉内俊哉はリリースポイントの見えにくい投球フォームと脱力感から惑わされる緩急を生かし、並み居る強打者を幾度となく惑わし、通算2156奪三振の実績を積み重ねて来た。糸を引く直球はみるみるキャッチャーミットに吸い込まれ、後述する変化球はバットをいとも簡単に空を切らせた。杉内の投球はまさに芸術品。決して豪速球ではない彼の直球は名前を付けるならば快速球。芸術品のような品の良い直球は敵も味方も魅了した。

 

 直球も素晴らしいのだが、彼の凄みはそれだけではない。伝家の宝刀「チェンジアップ」である。

 

 野茂のフォークやダルビッシュのスライダーと同じような代名詞的変化球を彼も持っている。言わずと知れた代名詞「チェンジアップ」。

 チェンジアップとは直球と同じ腕の振りにも関わらず「ボールが手元に来てくれない」変化球の事である。

 投手と打者はコンマ何秒という世界で戦っている。一瞬でも隙を見せれば負ける世界だ。投手と対峙している打者の心理としては打席で確認した直球と同じ腕の振り=直球と判断してしまうので直球に合わせて始動する。もちろん変化球だからといって腕の振りが緩んだり、高さなどの位置が大きく変わってしまう様な投手は1軍レベルにいないので100%直球だと確信してスイング出来る打者もそういないだろう。ある程度腕の振りは皆同じ形をしているため、腕の振りが同じだからといって1球種に絞って打つということはあまりなく、どの球種でもタイミングを合わせられるのがプロの打者だ。その前提を踏まえて、杉内俊哉のチェンジアップの凄さを伝えたい。

 

 簡単に説明するために直球を打つタイミングが1,2,3のリズムでタイミングが取られているとしよう。打者はそのタイミングで直球と判断し体を始動させる。しかし、チェンジアップは1,2,3,4のタイミングで打者のポイントにやって来る。合わせるのは至難の技だが、毎日試合を行っている打者サイドからすれば1つタイミングがずれたからといってそう簡単に空振りはしない。時にファールで逃げ、時にじっくりと見送りボールを選ぶなど高度な駆け引きが行われている。

 

 しかし、杉内俊哉のチェンジアップは一味違うと言っていいだろう。ほとんど同じ腕の軌道から放られる魔球は左右に変化することなく、下に沈みバットの空を切らす。左腕特有の右打者から見て外に逃げていく軌道ではなく、彼独特の軌道は長年彼の武器としてプロ野球界を席巻した。

 このチェンジアップを武器に松坂世代最強左腕は通算投球回数以上もの奪三振を長いプロ野球生活で奪って来たのだ。

 

 もちろん切れ味鋭いスライダーや高校時代の魔球・カーブも武器であった。しかし、間違いなく杉内俊哉のチェンジアップは誰もが真似できる代物ではない。

 

 近年、投手の大型化、スピードの高速化の目覚ましい日本野球界。大谷翔平選手が高校生ながらに160km/hを記録した時、野球界は新時代に突入したのだと確信した。高校野球界において140km/hを放る投手は珍しいものであったはずだがいつの日か当たり前の時代になりつつある。そんな高速化の時代の中、150km/hを超えない杉内の速球は豪速球を放る投手よりも奪三振を多く稼いだと言う現実。このリアルはそこまで体格の良くない投手や、球速の速くない投手に勇気と希望を与え続けて来た。

 それは今後杉内がコーチに就任した際、チームにとって大きな力となるだろう。すでに2軍でくすぶっていた若手左腕の今村信貴を1軍で先発として活躍出来るレベルにまで指導したことから、やはり貴重な先発左腕(特に大江)を1軍でエースを任せられる選手になるまで育成してほしいものである。第2の杉内俊哉の誕生にファンは期待してしまうだろう。

 まずはゆっくりと体を休め、自分の時間、家族との時間を十分に満喫した後、再び野球界に携わってほしいと切に願う。

 

 杉内選手、長い間本当にお疲れ様でした。感動をありがとう。

【追記】 杉内俊哉選手、お疲れ様でした。

 先程、杉内俊哉選手の引退が発表されました。


 先日ブログにて記事をアップしたばかりで何とも言えない気持ちですが、長年巨人を支えた選手には感謝の気持ちでいっぱいです。

今までお疲れ様でした。。


 後日、また杉内俊哉選手の記事を書くつもりです。

【松坂世代・最強左腕】

松坂世代・最強左腕】

 大谷翔平田中将大ダルビッシュ有、そして松坂大輔。いつの時代も甲子園のスターは右投げの本格派である。田中、大谷としのぎを削った相手もまた、斎藤佑樹藤浪晋太郎と右投げ投手であった(奇しくも2投手とも夏の甲子園を制した投手だ)。更に、第100回記念となった今年の夏の甲子園の決勝戦も最強世代・大阪桐蔭のエースは大会最速151km/hを誇る右の柿木くんと、旋風を巻き起こした金足農業の150km/h右腕吉田くんの投げ合いとなった。

 投手の球速の高速化が進む現代野球。大谷選手、藤浪投手、則本投手、千賀投手ら近年の右腕は球速が速い印象が強い。今年オリックスの中継ぎでブレークした山本由伸投手も150km/hを超える速球を投げ込み、阪神の若手右腕、望月投手もまた150km/hを超す直球を武器にプロの世界で戦っている。

  しかし、今回はそんな右腕ではなく、あるサウスポーの話をしていこうと思う。確かに甲子園のスターは右腕が多い。しかし、甲子園のスターはプロ野球で活躍してなんぼとも言える。先に挙げた斎藤、藤浪らは現在高校時代の輝き放てていない。甲子園で優勝できたからと言って、その後が順風満帆なんてわからない。もし順風満帆にプロ野球界で活躍が出来るのならスカウトは何も困ることはないだろう。優勝投手に敗れたもの、甲子園未出場の者。逆境を糧に這い上がる選手がプロ野球界で大活躍することも稀ではない。

 今日はそんな甲子園のスターに敗れた天才「左腕」を紹介しようと思う。

 

 

 杉内俊哉。身長175㎝体重82㎏。決して恵まれた体格の持ち主ではないだろう。因みに大谷翔平の身長は193㎝、体重は92kgはである。180㎝超の選手ばかりが集うプロ野球界で、山のように奪三振を奪った男が杉内俊哉だ。

 高校時代、甲子園に出場し、更にノーヒットノーランを成し遂げる逸材であった。これだけでもかなりの野球エリートである。しかし、あの怪物・松坂には敗れてしまった。彼がもし松坂率いる横浜高校に勝利を収めていたらまるで違う現在の野球界になったことだろう。

 野球ファン御用達の松坂世代というワードは生まれなかっただろうし、松坂大輔の名が全国に轟くことはなかったはずだ。延長17回の死闘、PL学園戦もなければ、松坂がノーヒットノーランで優勝を決めた京都成章戦もない世界だ。勿論横浜高校春夏連覇は無い世界である。余談だが、日テレアナウンサーの上重アナも今ほど野球を売りにしてはないだろう。杉内率いる鹿児島実業が優勝したのか、明徳義塾PL学園京都成章、どこの高校が優勝したかなんて定かでない。しかし現実は横浜高校春夏連覇で幕は閉じた。それが松坂世代の始まりと言えよう。

 怪物松坂は栄光のドラフト1位で西武へ入団し、1年目からオールスターにも選出され、当たり前のように新人王を獲得した。

 一方、杉内は社会人野球でプレーをしていた。三菱重工長崎に就職し、都市対抗野球シドニー五輪にも出場した。シドニー五輪には松坂大輔も出場したため、高校日本代表以来の日本代表としての集結となった。

 翌年2001年、ドラフト会議で3位指名を受けた杉内はホークスへ入団することになる。松坂のいる西武と同じパリーグでプロのキャリアをスタートさせたのだ。

 

【プロの壁】

 松坂と同じように1年目から大活躍!!とはいかなかったが、2年目には自身初の2桁勝利を達成しチームのリーグ優勝に大きく貢献した。日本シリーズでは2勝を阪神からあげ、日本シリーズMVPを2年目の若鷹が獲得し多くの福岡人が歓喜に沸いた。

 しかし、3年目にかの有名なブルガリア事件が起きる。2004年6月1日のロッテ戦で福浦選手に満塁ホームランなどを打たれ2回7失点でノックアウトされ、降板した直後に帽子とグローブをベンチで投げつけ、それを制止した女房役であった城島健司選手を振り払い素手でベンチを殴打してしまい両手を骨折してしまった事件である。この事件で当初球団は罰金100万円、謹慎10日を科したが、事を重く見た球団は後日罰金を増額し、600万円の罰金を課したのである。この大怪我により杉内はブルガリア事件の登板を最後に登板機会の無いまま2004年シーズンを終了した。当時の映像は動画投稿サイトなどにアップされているので気になった方は是非見て欲しい。当時は自己管理能力がないだのなんだの批判され、これでは一流投手になれないと叩かれた杉内だが、結果はご存知の通り…。当時まだ若造扱いされていた杉内俊哉の青く脆く熱い心を巨人軍の若手も見習って闘志を燃やして欲しいものだ。

 翌2005年シーズン、うって変わり杉内は目覚しい活躍を遂げる。開幕から抜群の安定感を誇り、4月5月と連続して月間MVPを獲得。その後シーズン終了まで安定感抜群の投球をし、自身初となる200奪三振を達成。18勝に防御率2.11で最多勝最優秀防御率を獲得。さらにパリーグ史上初となるサウスポーの沢村賞達成者となった。前年の骨折から一躍ホークスの投手陣の柱となった彼にファンはさらなる活躍を期待した。いや、何もホークスファンだけではない。2006年から始まったワールドベースボールクラシック、通称WBC。五輪以外の国際大会で世界一を目指すための大事な投手陣の一人として日本野球ファンは彼に期待した。

 WBC自体、王監督率いた侍ジャパンは見事世界一に輝くものの、杉内俊哉は2試合を投げ、0勝1敗、防御率5.40と期待外れに終わった。シーズンに響かなければ良い、そうホークスファンなら誰しも思った事だろう。現実は期待を裏切った。規定投球回に満たず7勝止まり。プレーオフに登板するも敗戦。去年の沢村左腕はプロの高い対策に悩まされた。

 しかし、翌2007年は15勝、更に2008年も2桁勝利を達成し、北京五輪代表にも選出された。2試合を投げ1勝0敗、防御率0.84の成績を残し、見事国際大会リベンジを果たした。勝ち星こそ10勝止まりであったが、奪三振は205年以来となる200越えを果たした(最終的に213個奪い、ダルビッシュとの最多奪三振争いに勝利)。2009年もWBC代表に選出され見事世界一連覇に貢献。役割が普段と異なるリリーフにも関わらず登板5試合、6回1/3を無失点に抑える成績を残した。レギュラーシーズンも昨年度同様、チームのエースとして活躍、2年連続の200奪三振越えで最多奪三振のタイトルを獲得。15勝5敗、勝率.750と抜群の成績を残した。2010年も奪三振は200を超え、エースとしてチームのために左腕は腕を振り続けた。翌2011年、杉内俊哉にとって機転となるシーズンが幕を開けた。

 

【携帯会社】

 2006年以来となる2桁勝利未達成に終わるも、171と1/3イニングを投げ防御率1.94と昨年度を上回る成績を残した杉内。このシーズンは味方打線に恵まれず、QS達成率も91%を記録するなど球界屈指の左腕としてホークスを牽引していた。交流戦、クライマックス、日本シリーズと登板する試合全てに全力を注ぎ、チームの勝利のために腕を振った杉内。しかし、それを評価するフロントの査定方法は「成果報酬型」と言われる前年度の成績・活躍をベースにしたホークス独自の査定方法により、彼のこれまで残した実績、成績は加味されず、それらをキッカケに杉内はFA権を行使し、読売ジャイアンツに4年総額20億円の大型契約を結ぶことになった。背番号はホークス時代背負っていた「47」は当時の絶対的リリーフエース山口鉄也が背負っていたため何番になるのかも非常に注目された。当時の空き番号や杉内の実績を考慮した結果、背番号はエースナンバーの「18」に決定した。18番は2006年以来の着用となり、あの桑田真澄以来の18番選手の誕生となった。FAを行使し、ホークスを去る杉内はホークスとの契約交渉の際、記者に向けてこう言った。「携帯会社と同じですよ。新規の人には優しくて既存の人はそのまま」と。

 

【その後の】

 その後の移籍した杉内俊哉の活躍は巨人ファンならば知っているだろう。現在は怪我のリハビリに苦しみながらも一軍登板を目標に日々の練習を積んでいる彼にまた東京ドームでとびっきりの大声援を送りたいと思うファンは数多くいる事だろう。

 

 先日引退した村田、引退発表をした横浜の後藤ら次々に松坂世代の悲しい報道が目に飛び込んで来る昨今の野球界。杉内俊哉が限界を感じるまで我々ファンは復活を待ち続ける事しかできないが、最後の最後まで、声援を送り続けようと思う。再び東京ドームのマウンドに立つ日まで・・・。

巨人軍 交流戦を終えて

[巨人軍 交流戦を終えて]

 

 6月も終わりが近づき、約1ヶ月に及ぶ交流戦が終わりを告げた。例年同様パリーグの強さを見せつけられてセリーグは案の定負け越した。それでもヤクルトが交流戦優勝を果たすなど、以前とは一味違う交流戦になったのではないか。

 そんな交流戦をひとまず振り返ってみようと思う。

巨人は18試合を行い8勝10敗と負け越してしまった。シーズンに合わせると64試合30勝33敗1分とこちらも負け越していることがわかる。交流戦前は1つの借金だったものが3つまで増えてしまったことは状況としてはあまり良くない。しかし、リーグ戦再開後の明るい希望は以前よりも増えた気がする。

 

 

 まずは先発投手陣。球界のエース・菅野智之交流戦前で完投4つ、防御率2.08はエースとしての役割を完璧に担っていた菅野。昨年は交流戦で滅多打ちを食らったが今季は完封勝利を鬼門の千葉でのロッテ戦で成し遂げるなど巨人以外の11球団から勝利を挙げるなど節目となる交流戦になったはずだ。田口も最終登板では8回1失点完投と今季1番の快投を演じた。試合には負けてしまったからこそ、次回登板は何が何でも無失点に抑えてやると意気込んで投球してほしいと切に願う。どすこいも以前よりゲームを作る能力は発揮できている。もともとスタミナには定評があった山口俊は不調のリリーフ陣を助ける役割を担ってくれている。7回を平均で投げ抜いてくれる先発はこのご時世そういないのが現状だ。マイコラスの抜けた穴はあまりに大きく、深いが少しでも埋めようと活躍する姿はチームに大きな貢献をもたらしている。

 以上の3投手は交流戦前から登板していた投手だが、交流戦で出てきた投手、消えた投手もいる。

 まずは古参ファンなら嬉しい復活を遂げた内海哲也だ。黄金期を支えたかつてのエース左腕は今季見事に復活を遂げている。以前までは放ることのできた140km/h中盤から後半の直球は影を潜め、多彩な変化球は全盛期ほどのキレはなくなってしまった。しかし、それを受け入れ黙々と緩急を用いてコーナーをつき、素早いクイックでランナーを牽制し、粘り強く投げるその姿はまさしくエース内海そのものであった。自身の勝利よりチームの勝利を心から願う内海の心はルーキー大城にも伝わり、見事なサヨナラ打で勝ちを納めた試合があった。喜びを爆発させ、ベンチの雰囲気を明るくすることのできるベテランがいるチームは強い(新井さんを見て確信)(顔も似てるし)。さらにルーキー鍬原もプロ初登板を果たし、3戦目となった登板では初勝利を挙げるなど今後に期待大の投球を見せてくれた。防御率は5点代とあまりいい印象がない方も多いだろうが、期待せざるを得ないポイントは奪三振率にある。17.2回を投げて23Kとイニング以上の三振を取れる先発は貴重だ。勿論各チームが対策を行えていない新人である点も考慮しなくてはならないが、アマチュア時代から定評のあった変化球と直球のキレはプロでも通用すると本人には映ったのではないか。今後たくさんの試合数を積み、試合に慣れることでさらなる活躍ができることを筆者は切に願う。

 

 ではリリーフ陣はどうだろうか。現在1軍に帯同しているメンバーではマシソン、澤村、田原、谷岡は良くやってくれている。上がったばかりの森福には層の薄いリリーフのサウスポーとして1イニングを任せられるまでに信頼を勝ち取ってもらいたい。支配下登録されたばかりのアダメスは期待と不安が入り混じる開幕前状態のためノーコメントだ。問題はカミネロと上原だ。正直なところ上原を1軍においておく意味は何なのだろうか。やはり契約上落とせないのだろうか。成績不振は勿論のことだが何せサウスポーのリリーバーが少ない現状から脱却するには上原orカミネロのどちらかは入れ替える必要があると考える。何も素晴らしい成績を残している投手に対してバランスを考慮して入れ替えろだなんて傲慢なことは言っていない。年食ったおじさんの活躍は勿論見たいが若手の躍動が旨いと知った2018年巨人ファンは脳内若手育成に舵を切っている。カミネロを落とすとクローザー不在問題へ話が移ることを考えると今上原に過度な期待はできない。お友達首脳陣には酷な話となってしまうのか。シーズン終了が楽しみだ。

 

注意 この文章は読売ジャイアンツ交流戦終了時の成績です。リーグ戦再開後の成績とは合わないことがありますのでご注意ください。

お久しぶりです。 お忙しです。

久しぶりの更新となってしまいました…。

いわゆる五月病ってやつですかね(違います、純粋に時間がなかった…)

時間がないと言うことは野球を見る時間もないと言うことでして、正直ネットに載るニュースぐらいでしか結果や内容を見ることが叶いませんでした…。

しかしようやく最近になって閑散期を迎えることができまして(?)試合を見る余裕も作れました。しかしなんと言えば良いのでしょうか。4月ごろは打って打って打ちまくり、敗れる…みたいな試合を見ていたはずなんですが、気づけば最下位or5位転落と言う悲劇。

 あれ?ここ1ヶ月何が?と思ってしまいました。

どうやら野上・吉川光夫は2軍調整を命じられ、田口は相変わらずのピッチング。また、ゲレーロ・マギーと言った助っ人が思いの外働かないお馴染みパターンときたものです。菅野しかいない先発陣に炎上わっしょいのリリーフ陣(どすこいごめんね)、得点圏では打てません打線では勝てる試合も勝てないか…と納得の内容でした。

 

しかし、少しだけ暗いムードの中にも明るい話題がありました。

ドラフト1位ルーキー鍬原と元エース内海の活躍です。

3軍スタートだった鍬原がこんなにも早く1軍で見られるとは正直思ってませんでした。もちろん2軍での活躍ぶりはTwitterなどで教えてくれる人もいますが、しばらくかかるのかなぁと思っていたもんで(悪く言えば台所厳し杉内)。初登板と2試合目の登板内容は正直手放しで褒められるものではなかったのですが、30歳前後の投手に同じことされるより何倍もマシです。期待と希望が違います。

そんなオーバー30歳投手にもついつい応援してしまう投手はいるもんでして。

内海哲也。彼の復活ほど嬉しいことはありません。

堀内政権、原政権を引っ張ってきた左のエースはここ数年。思ったような活躍はできてはいませんでした。加齢による衰え、球速が全盛期より数段落ちた、キャンプでも2軍スタートを経験するなど加藤球時代に快刀乱麻のピッチングを繰り広げた彼の姿をもうファンは見ることができないのかな。そう思っていた2018年シーズン。

そんな不安をよそに若手に混じり、川崎で必死に、ひたむきに投球する彼は見事復活を遂げ、東京ドームのマウンドに帰ってきました。

昨日の対西武戦では7回を2失点に抑える見事な投球。同じ左腕の田口や吉川光夫には見習ってほしい大人なピッチング。粘りづよく投げ、チームを鼓舞した結果、チームは見事サヨナラ勝ち。山賊打線と恐れられるパリーグ最強打線に屈しなかった男のピッチングがチーム上昇のきっかけを作った、そうシーズンが終わったときに言いたいなと心の底から思いました。

 

今回は小並感溢れる筆者感想文ですが、どうかお許しを。これからたくさん巨人戦を視聴して、分析して行きたい所存です。

それではまた…

巨人軍、待望の若手の台頭 -岡本和真-

巨人軍、待望の若手の台頭 -岡本和真

 

 「読売ジャイアンツは若手が育たない」

 そう言われ続けてもう何年も経っただろう。

 しかし、2018年のジャイアンツは今までとは違う。そう思わせてくれる若手に着目して書いて行こうと思う。今回は岡本和真編。

 

 2014年、読売ジャイアンツのドラフト1位指名を受けたのは大田泰示以来の高卒野手だった。大田泰示東海大相模高校から巨人軍へ入団し、背番号はなんとあの松井秀喜が背負った「55」番だった。期待の大きさを語るには十分すぎる背番号。その重圧に苦しめられた大田は結局巨人では花を咲かすことなくトレードにより移籍してしまった。

 同じように岡本も期待され、重圧に苦しめられてしまうのではないか。長嶋終身名誉監督の背負った背番号「3」と当時監督を務めていた原辰徳元監督「8」

を合わせた「38」を背負い、入団した彼に巨人ファンは不安と期待でごちゃごちゃになっていたはずだ。

 むしろ大田泰示の例からして巨人で高卒野手は無理だろう。大型の大砲素質型は巨人では育てることができないはずだ。そんな風に悲観的にドラフトを見つめていた方も多いかもしれない。

 事実、入団以来1年目こそ巨人では松井秀喜以来の高卒1年目ホームランを放ち、華々しい1年目を過ごしたに見えたが以降のシーズンでは期待に応える活躍をすることはできなかった。

 

 しかし今シーズンの岡本和真は一味違う。昨年オフにベテラン村田修一戦力外通告を言い渡し、若手育成に舵を切った読売ジャイアンツの顔として岡本は大きな期待を背負った。背番号も村田がつけていた「25」番に変更し、キャンプから1軍に抜擢され、オープン戦では4本塁打に12球団トップの15打点と活躍をした。

 オープン戦の活躍が認められ、雲の上すぎる大先輩・阿部慎之助との開幕ファースト争いを見事に制し、6番ファーストでシーズンを迎えることとなった岡本。

 開幕戦こそ快音を響すことは出来なかったが、続く2戦目には4打数4安打1ホーマー5打点の大活躍。プロ入り初の猛打賞を記録した。以降も勝負所で力を発揮し、打線好調の一因となっている。

 滞空時間の長い放物線を描いたホームランは間違いなく持って生まれたアーチストとしての素質であり、大砲候補として素晴らしい活躍を見せてくれている。

 変化球に体が突っ込んでしまったり、読みを間違えて差し込まれる場面も多々見受けられるが、それでも全力フルスイングを貫いている姿勢は昨年まで「コンパクト」を死ぬほど見せられていたファンからしたらこれほど嬉しい若手の姿は無いはずだ。シーズンを通して活躍することの難しさはいずれ訪れることだろう。しかし、それを乗り越えなければレギュラー野手として将来はない。乗り越えさせてあげられるように首脳陣には辛抱強く起用していただきたいし、岡本自身もこいつならやってくれると見せつけて欲しい。

 

 巨人の未来は岡本にかかっている。

巨人軍、待望の若手の台頭 -吉川尚輝-

 「巨人は若手が育たない」

 そう言われ続けてもう何年も経っただろう。

 しかし、2018年のジャイアンツは今までとは違う。そう思わせてくれる若手に着目して書いて行こうと思う。今回はセカンド編。

 

 

 長きに渡り、読売ジャイアンツにとって最大のウィークポイントであったセカンドのポジションに遂に若手が乗り込んできた。2016年ドラフト1位で入団した吉川尚輝だ。

 ルーキーイヤーだった2017年シーズンは5試合のみの出場に終わったが、今季はキャンプから快音響かせ、オープン戦ではチーム最多出場を果たし、見事開幕スタメンの座を手につかんだ。昨季、スタメン野手の平均年齢が約32歳と高齢化の進むジャイアンツにとって待望の若手野手の台頭だ

 

 アマチュア時代、中央学院大学に所属していた吉川尚輝は走攻守ともに定評があり、特にディフェンス面に関しては大学の先輩である広島の菊池選手を彷彿とさせるプレーを展開してきた。また、大学時代に中央学院大学を同校初の全日本大学野球選手権出場への原動力となり、初優勝も果たすなど度胸と実力の兼ね備えた好プレイヤーだった。

 恵まれた体格ではないもののパンチ力のある打撃に広範囲を守ることのできる観客を魅了する守備。巨人には一芸に秀でた若手選手があまりいない現状を見ると吉川の存在はひときわ目立つものとなっている。

 ショートもセカンドも守ることが出来るが、プロ入り後はショートには不動の坂本が君臨しているためセカンドを主戦場としている。50m走5.7秒の俊足を生かしたダイナミックなプレーはコンバートした今でも脅威だ。

 

 現在低迷に喘ぐジャイアンツにとって上へ上へと上昇させてくれる原動力というのは非常に貴重な存在であり、これからのジャイアンツの未来を背負って立つ存在になるだろう。 

 開幕から10試合以上を消化した巨人軍。波に乗れず低迷しているこのチーム状況を打開するためには若さという力は非常に大きな力を持つだろう。流れを作り、嫌な流れは断ち切る。そんな機体を背負わされるのは酷だが、堂々と失敗を恐れずにのびのびとプレーをしてもらいたいものだ。まだ1軍1年目のシーズン。攻守ともにミスが出ることも多々あると思われる。そんなことはいちいち悲観しないで同世代の若手野手陣と切磋琢磨し、未来のジャイアンツを明るいものにして欲しいと、ファンは切に願う。